西川のほとりで愛され続ける「満月BAR」は夜の居場所に。キャスト経験者が語る「学生時代にまちに関わる魅力」とは
マチナカノススメ公開インタビュー第3回は、岡山で多くのひとに親しまれるイベント「満月BAR」に関わりの深いお三方をお呼びしました。立ち上げメンバーの日野宗一郎さん、満月BARの元キャストであり一般社団法人「ぷらっと西川」の事務局として満月BARをサポートするおおもりみささん、2019年から満月BARの代表を務める吉川慧さんです。
川と緑豊かな木々があり、マチナカながら自然が感じられる西川緑道公園。この場所で月に一度行われる満月BARは「岡山と西川の夜の賑わい創出」をコンセプトに地元の有志が立ち上げたイベントです。
運営するのは高校生から社会人まで多種多様なメンバーたち。マチナカの人たちに愛されるイベントをどうやってまちに根付かせ、続けてきたのでしょうか。満月BARの立ち上げ秘話やイベントに対する思いなどをお聞きしました。
形を変えながら続く、満月BARの歴史
満月の日。夜になると西川緑道公園にたくさんのひとが集まり、ロマンチックな雰囲気の中、マチナカの多彩な飲食店から美味しい料理が運ばれてきて、ステージでの生演奏を聴きながら、公園内で食べて飲んで楽しんで……。
そんな非日常な時間を提供する満月BARが岡山でスタートしたのは2012年のこと。立ち上げメンバーの八百屋さんの声かけで鎌倉、赤穂市で開催されていた満月BARを体験しに視察したことが始まりでした。
吉川さん「実は『満月BAR』って鎌倉や仙台、赤穂など全国各地で開催されているんです。岡山より前に開催していた赤穂市の満月BARを訪れたメンバーが、マチナカの色んなひとが協力しながら楽しそうに運営している姿に感銘を受け、岡山でも開催することになったと聞いています。
この歴史のある満月BARの名前を大切にしながら、西川エリアのマチの特徴を活かした岡山バージョンとして独自の体制を構築。最初の数年は満月当日に、その後、より持続的に継続するために満月の最寄りの土曜日に変更して10年以上開催を続けています。満月を見たひとが『今日満月BARやってるかな?』と思い出してもらえる"風物詩"のようなイベントを目指しています」
裏テーマは、岡山男子のおしゃれ度を1ミリあげる
満月BARの魅力のひとつは、バーテンダーに扮したキャストがおもてなしをしてくれること。イベントの代名詞であるバーテンダースタイルはどのようにして始まったのでしょう。
日野さん「立ち上げ当時、『岡山のマチナカにおしゃれをしてでかけられる場所が少ない』という課題があって。特におしゃれすることを恥ずかしがる岡山男子が多かったんです。そこで、『岡山の男子のおしゃれ度を1ミリあげる』という裏テーマが設けられ、バーテンダーの格好でおもてなしをするスタイルが始まりました」
吉川さん「日常だと着飾る機会が少ないので、おしゃれな格好を惜しげもなくできるのはスタッフ側の楽しみでもあります」
おおもりさん「私がはじめて満月BARに行ったときも、バーテンダー姿の同世代の子たちがとっても大人びて見えました。『岡山にもこんなに素敵な空間があるんだ』と衝撃を受けたのを覚えています」
多様な人が集まりやすい、西川エリアの特性を活かしたイベント
マチナカに協力者が多く、西川エリアの立地が好条件に恵まれていることもイベントを続けてこれた理由なのだとか。
日野さん「満月BARでは、オーダーを受けてからキャストが近隣の飲食店まで出来立ての料理を取りに行って提供するスタイルを続けています。飲食店の皆さんが手間がかかるオペレーションに協力してくれるのも、『西川を盛り上げたい』という僕たちの思いに共感してくれているからだと思います」
おおもりさん「満月BARって、本当に西川エリアの特性を活かしたイベントだと思います。西川エリアには600店舗以上の飲食店が集まっていて、オーダーを受けてから出来立ての料理が提供できるのも会場から歩ける距離に協力してくださる飲食店があるから。また、会場である西川緑道公園が駅から徒歩10分圏内にあることや、マチナカに大学が多いことで、キャストもお客さんも幅広い世代のひとが参加しやすいんです」
「楽しい」がまちづくりに参加する原動力に
3人が満月BARと出会ったのは学生時代。まちに関わりがないひとにとってハードルが高いと思われがちなまちづくりですが、フランクに携われるのも満月BARのおもしろさだといいます。
日野さん「たまに『若いのにまちづくりに参加してすごいね』と言っていただけるのですが、当事者の私たちは『まちづくりに貢献している』という意識は特になくて。『みんなと一体になって1つのイベントをつくりあげるのが楽しい』『仲間ができてうれしい』というのが活動を続ける一番の動機なんですよ」
吉川さん「僕は単純に友達が欲しかったから満月BARのキャストになったんですけど、実際にやってみるとすごい楽しくて(笑)日野さんの言う通り、いつも自分が楽しんだ延長線上にまちづくりがあって、まちのひとに『ありがとう』と言っていただいて初めて副次的に『ちょっといいことしているかも』と気づくんです」
おおもりさん「最近高校生が楽しそうにキャストを手伝ってれた際、教える側の先輩キャストがすごく嬉しそうで、それがすごく微笑ましかったんです。まちづくりと聞くと少し堅いイメージを持ちますが、満月BARはメンバーが卒業や就職などで入れ替わるため、初めましてのひとでもウェルカムな雰囲気です」
まちづくりの玄関口にもなっている満月BAR。キャストの楽しいという気持ちが、巡り巡ってお客さんを喜ばせたり、マチナカを盛り上げることにも繋がっているのです。
マチナカはひととひととをつなぐ第三の居場所
満月BARのキャストを経験したことで、今の3人にはどのような影響があったのでしょうか。
おおもりさん「満月BARに関わるようになり、岡山って楽しいまちなんだと気づきました。ずっと地元に何か物足りなさがあって、就職ではもっと刺激を求めて都会へ出たいと思っていました。友達に誘われてキャストをやってみた際、満月BARの多様で自由な雰囲気に居心地の良さを感じ、面白いひとに出会えて様々な価値観に触れられる場所があるなら岡山に居てもいいと心変わりしました」
吉川さん「学生の頃から関わってきた満月BARは、“第三の居場所”のような大切な場所です。この活動が楽しくて、社会人になっても代表を続けてきました。社会人になると職場と家の往復になりがちですが、面白いひとたちと交流できて心から楽しいと思えるサードプレイスがあることは自分の人生の豊かさにもつながっています」
日野さん「私は現在東京の企業で働きながら地元の愛媛県西条市でリモートワークをしていて、コロナ禍でコミュニケーションをとる機会が減り、辛いと感じることが増えました。改めて『ここに行けば誰かがいる、何かがある場所』って貴重だと気づいたんです。満月BARに関わっていたからこそ、もっとひととのつながりが大切にできる場所をつくりたいと思い、現在は地元でコワーキングスペースの立ち上げを行っています」
コロナ禍でひととのつながりが希薄になり、改めて見直されたひとが集まる場所の価値。大学や新社会人など、環境が新しく変わって「友達ができない」「想像していた人間関係が築けていない」と、いま自分が置かれる環境に物足りなさを感じるひとにこそ、岡山のマチナカには多様な居場所があることを知ってほしいのです。
多くのひとが心を寄せる、みんなの“ふるさと”へ
岡山の一大ムーブメントとして注目され、12年かけて成長してきた満月BAR。その今後について3人の思いをお聞きしました。
吉川さん「全盛期はひととひとの隙間がないくらい賑わっていて、ワイワイした雰囲気だからこそ生まれるコミュニケーションがありました。知らないひと同士が友達になって『また次の満月の日に』と飲む約束をする。そんな素敵なエピソードを聞くたびに、このイベントがあって良かったなと感じます。コロナ禍になって閑散としていた時期もありましたが、また全盛期と同じくらい賑わって、ひととひとが繋がれる場所になったらいいなと思います」
おおもりさん「約束をしなくてもバッタリ友達と出会える場所が満月BARの良さなんですよね。母が一時期毎月来てくれて、テーブルで偶然出会った同級生とプチ同窓会を開いていました。みんなにも『満月BARに行けば誰かに会える』という使い方をしてもらえたら嬉しいです。
また、時代にあわせてイベントのカラーは変わっても、『まちに関わる入り口』という役割は変わらないでほしいなと思います」
「ずっと続いてくれたら嬉しいですよね。岡山を離れて暮らしていても、満月を見たら『みんな元気にやっているかな』と満月BARのことを思い出します。今日もこうやって公開インタビューに呼んでくれて嬉しかったですし、いつでも好きなときにふらっと帰ってこれるのが満月BARの魅力なのかと。だからこそずっと関わり続けたいですし、これからもずっと続いてほしいです」
2023年10月に開催された今年度最後の満月BARでは、全国各地からキャストが集結し、コロナ前のようなにぎわいが復活。「コロナ前の盛り上がりを取り戻したい」という代表の吉川さんの思いが届き、とてもドラマチックな満月BARとなりました。
楽しい経験があったからこそ、大人になってもマチナカに関わり続ける3人。多くのひとが心を寄せ、マチナカに関わるきっかけをつくっている満月BARは、みんなにとっての居場所であり、世代を超えていろんな人に愛される“ふるさと”のような存在です。
当日の様子
Text:岩井美穂(ココホレジャパン)
Photo:宮田サラ(まめくらし)、ココホレジャパン
聞き手:岩井美穂
ライター・編集者。1994年生まれ、福岡県出身。父が転勤族だったことから幼少期は九州内を転々とし、新卒で上京。その後、名古屋や、北海道で働く。制作会社・まちづくり会社を経て、2023年7月に岡山市へ移住し、ココホレジャパンに入社。まちの文脈から生みだされるローカルな暮らしやご当地なモノ・コトが好きで、編集・ライター業を中心に地域の魅力を発信しています。