ジュース片手に歩いてみれば、まちは自分のカフェになる。まちの楽しみかたを提案するマルゴデリ「田町」
コロナ禍で変化した外食の様式。外出自粛の影響を受けて料理をテイクアウトを導入する店舗が増え、スマホからの注文で自宅に料理が届く宅配サービスも普及しました。
最初は戸惑いがあったかもしれませんが、外の空気に触れて食事することの心地よさに気づいた人も多いのではないでしょうか。そう、テイクアウトの最大のメリットは、好きな場所で食事ができること。
岡山のマチナカ・田町に本店があるフレッシュジューススタンド「マルゴデリ」は、まだテイクアウトが珍しかった2001年に産声をあげ、幅広い客層から人気があります。
無農薬・減農薬かつ地元で育った野菜やフルーツを使ったジュースが人気で、岡山近郊に9店舗を展開。さらには暖簾分けという形で東京・恵比寿にもお店を構えています。
マルゴデリの創業メンバーであり、現社長をつとめるのは、元ラッパーの経歴を持つ平野裕治さん。マルゴデリが創業時から一貫して伝えたいメッセージや、岡山のマチナカがおもしろくあり続けるために必要なことについて伺いました。
まちを愛するひとのインタビュー2022その6
『マルゴデリ』平野裕治さん
はじまりはコーヒースタンドとして
マルゴデリの1号店、本店の田町店があるのは、JR岡山駅後楽園口(東口)を出て、イオンモール岡山からまっすぐ続く県庁通り沿いにあり、田町、磨屋町、幸町、錦町の4つのエリアに分かれる交差点の角にあります。
少し年季の入ったグレーの建物に、赤い⑤の文字がマルゴデリのシンボル。お店に入ると、陽気なレゲエミュージックとともに、壁に描かれた色鮮やかな絵が目に飛び込んできます。メニュー表には、バナナジュースやいちごジュースという定番のフルーツジュースから、アボカド、甘酒ジュースなど、少し変わったものまで約30種類が揃っています。
平野さん「この建物は、倉敷市に本社がある丸五ゴム工業株式会社さんの店舗だったんです。ここで足袋やスニーカーを販売していました。
お店は閉店したけれど古い建物なので売れないだろうということで、店舗は壊す予定でした。でも、閉店後に地域活性のNPOを通して「取り壊しまでの期間限定で何かやってほしい」と相談されたそうです。」
NPOが白羽の矢を立てたのは、マルゴデリの親会社「The MARKET」代表の山本享さん。外国の街角にあるようなコーヒースタンドのようなお店を始めました。
マルゴデリの名前は、丸五ゴムの「マルゴ」と、デリカテッセンから「デリ」に由来しているのだそう。デリカテッセンとは、ドイツ語で持ち帰り用の惣菜を売る飲食店という意味。名前の通り、開店当初はサンドウィッチやサラダ、お菓子を販売していたそうです。
平野さん「せっかくフルーツ王国の岡山なんだからと、サイドメニューでジュースの販売を始めたんです。そしたら、だんだん注目が集まって、気づいたらジュース屋さんになっていました。」
と笑って話す平野さん。今ではフレッシュジュースがメインで、サイドメニューとしてコーヒーを提供しています。平野さんの定番は美咲町にある系列店のロースターKUUMUUS COFFEE ROASTERSで焙煎している豆を使ったコーヒーなのだそう。
2001年当時、岡山でテイクアウトを提供するお店はスターバックスコーヒーぐらいでした。ましてやジュース専門店もなかったため瞬く間に注目が集まり、食とグルメを紹介する雑誌「cafe-sweets」に2ヶ月連続で掲載されたといいます。
ラッパーからカフェ経営者に
マルゴデリで働く前は、岡山を拠点にラッパーとして活動していたという平野さん。高校時代によく遊んでいた場所はまさにマチナカだったといいます。
平野さん「当時、学生の放課後の溜まり場といえば、キシャコー(下石井公園のこと。機関車が置かれていることから汽車公園→キシャコーが愛称)でした。1990年当時は携帯電話が登場する前で、今のようにすぐに連絡を取り合うことはできなかったんです。
だからこそ、「今どこおるん?」なんて連絡しなくてもそこに行けばみんないる、そんな場所が下石井公園でした。ダンスを練習するひともいれば、スケートをするひともいて、おもしろかったですね。そのうち、僕も、DJをやってるひとに出会ってラップをはじめました。」
自然と仲間の輪が広がっていくうちに、平野さんは創業者の山本さんに出会ったそうです。学校を卒業してしばらく経って再会したときに転機が訪れます。
平野さん「あるとき、山本さんに「暇してるんだったら手伝って」と言われて、「いつから?」って聞いたら「今日から」と。当時は仕事もしてなくてお金もなかったので、2つ返事で「いいよ」と答えて、そのまま手伝いに行きました。」
目まぐるしい日々が過ぎるなか、翌年2002年に商業ビル「岡山ロッツ」に2号店を開設(2022年2月に閉館)。2010年には「株式会社マルゴデリ」を創業しました。
平野さん「創業からしばらく、朝6時から夜11時まで働いてましたね。辛いというよりは楽しかったですけど。
でも、改めて経営を見直してみると、ちゃんと回っていなかったことに気づいたんです。スタッフのことを考えると、稼げるお店をつくらないといけないと思うようになりました。」
「綱渡りみたいな状態だった」と振り返る2010年、イオンモール倉敷への出店に挑戦。まずは銀行で融資の相談をすることから始めました。しかし、大型の商業施設への出店には、少なからず葛藤があったといいます。
平野さん「お店の個性を大切にしているので、本来は田町店のような形が一番だと思っています。店頭に立つスタッフによってお店の雰囲気は変わると考えているので、大きな商業施設に入るようになっても教育マニュアルは用意していません。
インターネットで何でも買えるようになったけど、生ジュースだけはお店に来ないと飲めないので、お店でしか味わうことができないワクワク感を大切にしたいです。」
商業施設への出店や岡山県外への店舗が増えても、創業当初からマルゴデリが大切にしていることがあります。それは、「食の文化」や「食の安全」を真正面から伝えるのではなく、気づいたら浸透している自然な状態を目指すこと。
「1970年代にアメリカで生まれたストリート文化が音楽や絵を通じて広まっていったように、「気づいたら身体にいいものを飲んでいた」という環境をつくりたい」と平野さんは話します。それは、自身がラッパーとして活動していたからこそ分かることなのかもしれません。
平野さん「ぼく自身、昔はかなり不規則な生活を送っていたんですよ。でも、マルゴで働くうちに自然と食に対する知識がついて食生活が変化しました。
昔は体重は100キロ以上あったんですけど、食生活の改善と運動習慣でだいぶ絞れてきましたよ。」
ジュースを飲んで果物そのものの味わいに感動して、ちょっとだけ食生活を見直してみる。
マルゴが提供するフレッシュジュースには、小さな変化を生み出す力があるのかもしれません。
人が歩かないまちはつまらない
高校生の頃から岡山のマチナカで過ごしてきた平野さんにとって、いちばん大きな変化は、まちを歩く人が減ったことだといいます。
平野さん「新型コロナウイルスの影響はもちろんありますが、以前からまちを歩く人の数は減っていると感じていました。
僕が高校生の頃に比べると、学生を見かけることも少なくなりましたね。まちを歩く人が減ってしまうと、岡山のマチナカはつまらなくなると思うんです。」
平野さんが考える岡山のおもしろさとは、自分の好きなことを貫いて活動をしている人が各所に点在していることだといいます。近隣の神戸や広島と比べると観光地化していないからこそ、独自の文化が息づき、おもしろいひとがたくさんいるのかもしれません。
平野さん「まちにおもしろい人が点在する状態は、これからも残していきたい。そういうひとがいなくなると、岡山はただの寂れた地方都市になってしまうと思うので。
まちに魅力があれば、若い子たちは憧れて遊びに出て自然にまちの一員になっていくと思うんです。立ち寄る場所があるということは、居場所があるということ。だから、彼らの居場所をつくりやすい環境にしていきたいですね。」
2022年4月には、マルゴデリが接する県庁通りの再整備が完了しました。歩道スペースを広げるために約600メートルの道路を1車線化し、歩行者が歩きやすい場所に生まれ変わりました。歩道にベンチが設置されたことで滞在できるようになり、にぎわいが生まれることが期待されています。
平野さん「お店があるから人が歩くのか、人が歩くからお店ができるのかは難しいですけど、昔から人通りがあるところで商売が始まってきました。
これからはまちの使いかたを提案したいですね。マルゴのジュースを飲みながら、まちをウロウロしてほしいです。パンを買って西川緑道や下石井公園で食べるみたいな。」
創業時から「テイクアウトしてジュースを飲めば、岡山のまち全体がカフェのスペースになる」と発信している平野さん。高校生の頃にマチナカをフィールドに活動した原体験があるからこそ、まちに繰り出すことのおもしろさを伝えたいといいます。
現在の営業時間は11:00から21:00までですが、かつては7:00から23:00まで営業しており、さまざまな客層がジュースを買っていたのだそう。
平野さん「まちで働くひとの時間帯を完全に網羅していましたね。飲み会帰りのサラリーマンが酔い覚ましの一杯として買っていくこともあれば、夜の仕事を終えたお姉さんが朝ごはん代わりに買っていくこともありました。」
客層が多様であることは、オフィス街・歓楽街・商業地区・通学路など、エリアが交差する場所にマルゴデリがあるからこそ。
短期出店のつもりで開業したマルゴデリは、開業から21年目を迎えた現在、待ち合わせ場所として使われるなど、マチナカのランドマーク的な存在になりました。そしてこれからもまちの変化を見守り続けるでしょう。
マチナカをおもしろがることができるかは、まちを歩くあなた次第。ジュースを片手に歩いてみれば、自分だけの空間をマチナカで見つけることができるかもしれません。
平野さんおすすめスポット
聞き手:中鶴果林
埼玉県出身、2021年に広島県の島に移住し、夫婦で古民家をセルフリノベーション中。専門商社の営業職、海外生活を経て、帰国後ココホレジャパンに入社。仕事や技術を譲りたい人と継ぎたい人をつなげ、まちの多様性の維持を目指す「ニホン継業バンク」の営業や、仕事の魅力を伝えるライターをしています。