岡山に芸事が学べる土壌を。蓮昌寺生まれの女優が語る「エンターテイメント×マチナカ」の可能性
マチナカノススメ公開インタビュー第2回目の“取材対象者”は、株式会社テラエンタテイメント代表取締役の八木景子さん。女優・演出家という経歴を持ちながら、マチナカにある『仏住山 蓮昌寺(れんじょうじ)』で生まれ育ったお方。
そして「ひとを育てることがまちづくりに繋がると考え、さまざまな文化が生まれるまちづくりに貢献したい」という思いから、寺子屋のような学び舎「テラ エンタテイメントアカデミー」や、貸しスタジオ「テラスクエア」を運営されています。
寺生まれ、寺育ち、女優。そんな珍しい経歴をもつ八木さんのマチナカでの活動と、これからやっていきたいことを深掘りし、エンターテイメントとマチナカの可能性についてお聞きしました。
「毎日が劇場」寺生まれの少女が女優を志すまで
八木さんは6人兄弟の三女として蓮昌寺に生まれ、賑やかな家庭で育ちます。幼少期をマチナカにあるお寺で過ごし、どのようにして女優を目指すことになったのでしょう。
八木さん「小さい頃に姉たちと毎日無邪気に踊ったり歌ったりしていたのがきっかけでした。お坊さんたちと大勢でご飯を食べるんですが、食卓の前で得意の歌やダンスを披露するとみんなが喜んでくれて、とてもうれしかったのを覚えています。まさに毎日が劇場のようで、物心ついた頃から『自分は女優になる』と強く思っていましたね」
その後も、お芝居の台本を書いてみたり、コントを披露したり、表現を通じて誰かを喜ばせることへの興味は尽きなかったのだとか。
5歳でクラシックバレエ、10歳でジャズダンスを習っていた八木さんは、18歳で上京。女優という夢を叶えるため、15年ほど厳しい芸能の世界に身を置きました。
一度は岡山を離れた八木さんは2004年ころに岡山へUターンします。当時のマチナカはどんな雰囲気だったのでしょうか。
八木さん「90年代後半にバブルがはじけ、どこも寂しい空気が漂っていました。岡山のマチナカも例外ではなく、あんなにひと通りが多く賑わっていた県庁通り(現ハレまち通り)が閑散としていて、驚きを隠せませんでした」
八木さんが岡山を離れる前のハレまち通りは今よりお店も多く、肩がぶつかりあうほどひと通りが多い場所のひとつだったそう。全盛期の賑やかさを知っているからこそ、余計に寂しさが募ったといいます。
ジャンルを超えた「テラ・アートフェスティバル」を主催
東京から岡山に帰ってきた八木さんにはもうひとつ寂しく感じていたことがありました。それは、岡山に東京で磨いた芸事を活かす場所がないことです。
八木さん「当時は岡山に劇団や芸能事務所が少なく、エンターテイメントに携わっている方も個々に活動されていました。自分のやりたいことができるフィールドがないことに少しモヤモヤしていました」
当時のマチナカには「表現にさらなる磨きをかけたい」「新しいアイデアを実現したい」という思いをぶつける場所がなく、東京と岡山のギャップに悩んでいたそう。そんなとき、同じような考えをもつ仲間との出会いが転機となります。
八木さん「中にはフランス、オーストラリア、ニューヨーク、大阪などで演技やダンスの勉強して帰ってきたひとも多く、岡山で少しずつ活動を続けているうちに似たような境遇の方たちと繋がることができました。
個人ではできることが限られているけれど、みんなで協力すれば大きなムーブメントが起こせるのではないか。そんな思いが芽生え、蓮昌寺でジャンルの枠を超えた『テラ・アートフェスティバル』を開催することにしました」
八木さんたちの思いが重なり、2007年に行われた「テラ・アートフェスティバル」は「ジャンルを超えての交流」「分野・世代を超えて人が人に何かを伝えること」をテーマに、音楽ライブ、ダンス、ライトパフォーマンス、映像、美術など多彩な表現で観客を魅了するイベントです。
会場は、八木さんの生まれ育った蓮昌寺。野外フェスで使用するような移動式の足場や照明を吊るす器具を使って境内に大規模なステージをつくり、当時は真新しかったムービングライトショーのアーティストを呼ぶなど、マチナカに多種多様なエンターテイメントが集結しました。
八木さん「本堂や境内を幅広く使って、5つのセクションのパフォーマンスを行いました。
例えば「生」をテーマにしたダンスと演劇のショーでは、大人を真似する子どもの成長期などを織り交ぜ、約30分間で生まれてから亡くなるまでの「命」を表現しました。
また、入場時は表現をしながら観客を待つウェイティングスタイルをとり、ステージでただ演技を披露するだけでなく、いたるところに表現の場を設けました」
寺でアートフェスティバルを開いてしまうというのも驚きですが、ジャンルを超えたアーティスト同士が手を取り合うことでマチナカのエンターテイメントに新しい変化をもたらします。
八木さん「当時は業界やジャンルを超えて活動することは珍しかったんです。おもしろいアイデアを思いついても、照明、音響、ダンサー、衣装など、誰に声をかけていいのかわからない状況でした。
芸能に精通したプロフェッショナルがひとつのステージをつくりあげることで岡山のエンターテイメントの輪が広がり、今後芸能に関わるひとの選択肢が増える機会となりました」
テラ・アートフェスティバルに関わった先生が有名なアーティストを輩出するなど、現在も岡山のエンターテイメントに大きく貢献しています。
岡山のマチナカに、芸事を学べる土壌を
アーティストたちが一気につながり、岡山のエンターテイメントが加速するきっかけをつくったテラ・アートフェスティバル。この成功体験を経て、八木さんには次の夢が芽生えます。
八木さん「テラ・アートフェスティバルを開催したあたりからずっと思い描いていたのが、『芸能学校をつくること』です。
東京へ行かなければ芸事が学べないままだと、岡山でエンターテイメントのカルチャーを育む、受け継いでいくということが難しいと感じていました。
夢をもった子どもたちが、岡山でも芸事が磨ける土壌を整えたい。そんな思いが強まり、育成に励むための芸能学校を作ることにしたんです」
これまでダンスや演劇を教えていた八木さんは、かねてから念願だった芸能学校を2022年4月に立ち上げました。名前は「テラ エンタテイメント・アカデミー」。“テラ”には、寺子屋の「テラ」と、ラテン語で「テラ=大地」という2つの意味が込められています。
そしてアカデミーの拠点となる「テラスクエア」は、「エンタメ応援基地」をコンセプトにした、ホールとスタジオを備えた3階建の施設です。
八木さんはハレまち通りに面したこの場所がマチナカと地続きにつながり、エンターテイメントの面白さを発信していける場所になったらと語ります。
ハレまち通りは、リニューアル工事を経て、車から人優先の歩きやすい空間へと生まれ変わりました。もともと2車線だった車道を1車線化し、歩幅を拡張。ベルギーから取り寄せたスタイリッシュなベンチを配置し、ハレまち通りに面するお店は申請すれば歩道にものを置けるなど、さまざまな工夫が施されています。
八木さん「リニューアルして一番うれしかったのは、申請すれば建物の前の歩道にものを置けること。テラスクエアはガラス張りで、ハレまち通りからも中が見えるつくりになっているので、歩いているひとがワクワクして覗きたくなるような仕掛けを考えていきたいです。
わたしはいつも、楽しそうなことを見せることを大切にしています。ひとは楽しそうなところに集まる習性があるんです。だから言葉で伝えるだけではなく、楽しそうな姿を見せて、その輪のなかに入りたいって思ってもらうことも仕事のひとつだと考えています」
小さな夢のかけらをもった少年少女が窓を覗き、八木さんの放つ楽しそうな光に吸い寄せられて未来のスターを志す。そんな物語が生まれる場所がテラスクエアなのです。
女優と僧侶、二足の草鞋でマチナカを盛り上げる
実は僧侶としても活動する八木さん。エンターテイメントと向き合ってきた八木さんですが、その背景には仏教の教えが影響していたといいます。
八木さん「小さい頃は寺で生まれ育ったことがコンプレックスでした。東京に行ってすぐは<お寺の娘>として見られないことがすごくうれしくて。でも、芸事を磨いていくうちに仏教に通ずる点があることに気づきました。
実はお経は戯曲のようなもので、言うなれば壮大なファンタジーなんです。また、お寺ではひとを助けることが自分に返ってくると教えられますが、見てくれるひとがいるから表現が成り立つエンターテイメントも同じだなと思います」
小さいころから物語性の高いお経に触れてきた八木さんが女優を志すのは自然な成り行きだったのかもしれません。
蓮昌寺で開催される毎年恒例の「夏祭り」の法要で僧侶の格好をしてお経を唱え、ステージでは浴衣に着替えて司会をこなすなど、二足の草鞋を履きながらマチナカを盛り上げています。
ハレまち通りを<宝探し>ができる場所に
今日の公開インタビューのテーマ「ハレまち通りの愉しみ方」の「愉」という字には、能動的にたのしむという意味があります。八木さんは、この字のようにハレまち通りを訪れるたびにそれぞれのたのしみが見つかる場所にしていきたいと話します。
八木さん「例えば、落書きし放題の壁があったり、向かいのビルに星が投影されていたり、<宝探し>のようなことができる通りになったらたのしいですよね。
わたしたちは予定調和なものよりも、予期せぬ出会いにトキメキや驚きを感じるような気がします。マチナカを歩いているときも、ふと目に飛び込んできた楽しそうなことに触れてみると新しい発見が待っているかもしれません」
想像が膨らみ、楽しげなトークから会場にも八木さんのワクワクが伝わってきます。
八木さん「わたしは仲間と雑談しながら楽しいことを考えるのが大好きなんです。会社やお店、個人の力では難しいことが、同じような考えをもつ仲間が集まるとアイデアが膨らんで実現可能になる。こうやってマチナカでも、多種多様なひと同士が交流し、仲良くなり、雑談からアイデアが形になっていくのが理想だと思います。
まずはテラスクエアがそんな交流の場所になってくれたらうれしい。だから今日も、マチナカの楽しいこと、みんなが喜ぶことを一緒に考えましょう!」
そんな八木さんの呼びかけで締めくくられた今回の公開インタビュー。できるかはわからないけれど、自分がワクワクすることを考えて言葉に出してみる。そうすると小さなアイデアの種がマチナカに芽を出し、みんなを楽しませるものへと育っていくかもしれません。
当日の様子
Text:岩井美穂(ココホレジャパン)
Photo:宮田サラ(まめくらし)、ココホレジャパン
聞き手:岩井美穂
ライター・編集者。1994年生まれ、福岡県出身。父が転勤族だったことから幼少期は九州内を転々とし、新卒で上京。その後、名古屋や、北海道で働く。制作会社・まちづくり会社を経て、2023年7月に岡山市へ移住し、ココホレジャパンに入社。まちの文脈から生みだされるローカルな暮らしやご当地なモノ・コトが好きで、編集・ライター業を中心に地域の魅力を発信しています。