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西川の八百屋さんと考える、岡山のマチナカが誇る“繁華街”ってどんなまち?「西川エリア」

大阪市の「天神橋筋商店街」、横浜市の「横浜中華街」、札幌市の「すすきの」、広島の「薬研堀」など、地域の繁華街には愛称があり、観光客はもちろん、地元住民も「あそこに行けば旨いものが食べられるまち」と親しまれています。

JR岡山駅と岡山城の間には多くの飲食店が軒を連ねています。特に桃太郎大通りから西川緑道公園を南へ向かうと繁華街らしい賑やかさがあり、「岡山の繁華街はどこ?」と尋ねられたら、わたしは先ずこのあたりを案内する気がします。
そんな西川エリアに生まれ育ち、このまちで代々商いを行っているのが「池田促成青果ラボ」を営む池田一晃さん。西川エリアには約630もの飲食店があり、飲食店のの食材を支える<まちの八百屋さん>は、西川エリアの魅力化にも携わり、さまざまなイベントを西川緑道公園や下石井公園などで行っています。

西川エリアの街角にある「池田促成青果ラボ」
岡山の満月の夜、突然現れるBAR「岡山満月BAR」

今回のインタビューは、池田促成青果ラボのご近所である下石井公園の活性化に携わる「まめくらし」の宮田サラさんと一緒にお話を伺います。八百屋さんの範疇を著しく越えて、マチを楽しくしている池田さんからリアルな<今>の西川エリアを教えていただきましょう!

まちを愛するひとのインタビュー2023 その12
『池田促成青果ラボ』池田一晃さん

池田一晃(Kazuaki Ikeda)
池田促成青果有限会社 代表取締役
一般社団法人ぷらっと西川 代表理事
西川緑道公園筋歩行者天国実行委員会 副委員長
 
岡山満月BAR、ハレノミーノ、D級グルメ、岡メシなどの仕掛け人。1972年より西川緑道公園西筋沿いに青果店を構える三代目。街の変化を肌で感じながら生産者と飲食店と消費者をつなぐ活動を行っている。岡山食材のすばらしさを全国に発信するとともに西川エリアの飲食店と生活者がより良い関係を構築し、笑顔溢れる岡山中心部をつくるため“まちの未来図”を描き続けている。

宮田サラ(Sara Miyata)
(株)まめくらし(株)nest 取締役。1994年岡山県岡山市生まれ。住宅や公共空間など暮らしの場の企画・運営を行う。ジェイアール東日本都市開発の賃貸住宅「高円寺アパートメント」の女将として、住人同士や地域との関係性づくりに取り組み、住まいの新たな運営のプロセスデザインに従事。高円寺で銭湯付きアパート「湯パートやまざき」の企画運営に携わる。池袋東口グリーン大通り・南池袋公園など公共空間活用を公民連携で実施。エリア価値を高めるための社会実験やマーケットの企画運営を行ない、まちなかに新たな風景を育てている。雑貨屋「まめくらし研究所」や場づくりを学ぶ学校「大家の学校」の運営も行う。

池田さんはこの地で代々続く八百屋の三代目。戦後から現在にかけて、激動する岡山のマチナカを見守ってきました。

池田さん「我が家のルーツは祖父が(太平洋)戦争から復員して、戦後、この場所で商売をはじめます。最初はアイスキャンディ屋でしたが、その後、八百屋に商売替えしたそうです。」

商売替えした理由のひとつには、まちの変化があります。

いまでこそ飲食店の印象が強い西川エリアですが、戦後すぐのJR岡山駅前は繊維関係の卸売業者が軒を連ねていた繊維街でした。昭和43年に別の場所に用地を取得し一気に移転をします。それが今の問屋町です。

がらんどうになったまちに、飲食店がなんとなく集まりはじめ、繁盛した店の近所に飲食店が出店する、その繰り返しで長い時間をかけて西川エリアが繁華街になっていったのです。

こうして池田促成青果ラボも、まちの八百屋から、飲食店への青果卸を中心とした業態になりました。現在は9割、飲食店への卸業です。

池田さん「この周辺は、繁華街にしよう!と計画してつくったわけではなく、自然発生的に飲食店が集まったので、愛称で呼ばれるまちではありませんでした。“西川”は地名ではなく地元呼名ですし、このあたりに住んでいないと、どこ?といわれます。他のまちのように、岡山のマチナカで旨いものが食べられるといえば西川エリア、といいたいですし、市民のみんなに知ってもらって、県外からも呼ばれるようになりたいですね。」

サラさん「私の幼い頃、20年くらい前から変わらず、このあたりはずっと賑やかな印象です。『ごはん食べるなら西川まで行こう~』って言い合ったりするんじゃないですかね」

池田さん「そうかなぁ。僕は50代なんですが、昔は、岡山に暮らす人々にとって、中心街とは岡山城寄りの表町商店街周辺「城下」のことを指していました。千日前には劇場、映画館、商店街の賑わいも娯楽施設も岡山城周辺は本当になんでもあったんですね。だから未だに西川周辺が中心っていう意識が薄いのかもしれません」

岡山のまちは世代によってまったく印象の違うまちであることが二人の会話からわかります。以前は、岡山城下・表町商店街が繁華街でしたが、時代の移り変わりとともに、商圏が利便性の高い駅寄りへと広がりました。岡山のマチナカは今と昔で、役割が変化しているのです。

池田さん「岡山城・後楽園のあたりを旧市街地(歴史・伝統文化の要素があるエリア)として観光客を中心としたまち、駅周辺は新市街地で、新たに都市機能が整備され、大型商業施設があり、マチナカに暮らすひとたちを中心としたまちという役割にするとわかりやすいのかなと話し合ったことがありました。」

今の10代・20代はイオンモール岡山が繁華街という意識かもしれません。

観光客も商売人も市民も混じり合う西川エリアの役割

西川エリアは、池田さんのいう旧市街と新市街の重なる場所にあります。まるで、境界や干渉地のように、多様な役割とモノヒトコトが混じり合う場所に西川エリアが在るのです。

池田さん「僕は幼い頃からこのあたりで育ったので、ここの西川緑道公園を中心に商業・住居の混じったマチが形成されている風景が当たり前でした。進学や就職で上京して、10年働いてここへ帰ってきたとき、『こんな風景、どこにもない』とわかったんです。わりとかっこいいマチなんじゃないかって。アメリカ・ポートランドからもこの風景に魅力を感じて研究対象にして来日してくれた大学生もいます。」

サラさん「私も、幼い頃は岡山のマチナカに暮らしていましたが、中学生の時、東京に引っ越しました。だから、岡山に居た頃はまだ未成年だったのでお酒が飲めない年齢で、お酒が飲めない若い世代は、このあたりが飲食のまちだと認識しづらいかもしれません。」
池田さん「それもまたもったいない話だよね。駅前に大型商業施設のイオンモールができる前は、高校生や大学生達が遊び場所がないと話しているのも聞きます。マチナカにいろいろな人が集える場所があるといいなと思って、飲食イベントをみんなで企画したりしましたね。」

「西川エリアが人と人が出会える場所になったらいい」と池田さんは考えます。飲食店の卸が中心の商売をしている池田さんは、西川の飲食店イメージの向上や岡山の食文化を支えることにも自分たちの役割として主体的に関わっています。2020年から現在まで、コロナ禍を経て、飲食店を中心とした商売は深刻なダメージを受けました。西川エリアも例外ではありません。

池田さん「コロナの流行以前から飲食店が盛り上がらないと自分の商売も立ちゆかなくなるという強い危機感で、まちづくりに携わっていました。
2012年頃、飲食店に声をかけ、「一品+ドリンク」の飲み歩きできるハレノミーノを企画しました。その後、鎌倉や赤穂などで行われていた「満月BAR」を岡山バージョンでやりたいと、大学生や20代社会人を巻き込んでスタートさせました。岡山満月BARは、公共空間を利用した唯一無二の景色を生みました。」

岡山満月BAR

サラさん「震災後って、みんな考えて行動するようになったタイミングでしたよね。」

池田さん「価値観が変わったよね。津波の映像などを見て、なにを持っていても意味がないなと思いました。」

ちなみに、東日本大震災以降、岡山は首都圏からの移住先として急浮上し、人気の移住地として注目を集めました。2012年には転入超過が起こり、さらに移住した人々の79パーセントが「これからもまちに住み続けたい」という脅威の定住率を誇ります。

都会から移住してきた人々の定住率が高いのは、実際ここに暮らすことで岡山というまちに魅力があることがわかるから。そして、その魅力は、まちに楽しみをインストールする池田さんのような地元のひとたちが居たからだと、わかります。

また、まちでイベントをすることで、周辺の飲食店さんの意識も変わっていったといいます。イベントに惹かれて移転してきた飲食店もあったとか。

サラさん「ひとが集まって盛り上がっていく様子を見て、自分も仲間に入りたいなって思うんですね」

池田さん「まちのオリジナリティが見えてきて、こんな景色だったんだ、って思えて、またその先にはもっと面白いことがある気がする。落書きなどの良くないところも見えてきて、解決したい思いも膨らんでくる。行政に働きかけて、西川清掃に観察会を組み合わせた企画をして、地域の子ども達がマチナカに興味をもってくれたりする。そうやって、どんどんまちづくり的活動に入り込んでしまいました。」

西川に入ってゴミ掃除をするイベント「西川クリーン探検DAY」
シャッターの落書き消し

サラさん「自分のお店を一歩出ると、普段と違うチャレンジをしたり、気持ちを出しやすいと思うので、岡山満月BARみたいな機会づくりはお客さんだけでなく、飲食店さんたちにも必要なんですよね」

池田さん「10年、様々な活動をしてきて、ようやく、基盤ができたという気分です。」

魅力あるまちづくりは結果的に個々の商売へつながっていくから

池田さんが代表理事を務める「一般社団法人ぷらっと西川」では、「地域価値を高めながら安心して暮らせるまち」をめざしてエリアマネジメントを行っていくことをミッションにしています。

一般社団法人ぷらっと西川のミッション

池田さん「僕ら『一般社団法人ぷらっと西川』がかかげているのは、事業者も住民も観光客も過ごしやすい、笑顔あふれるまちにしたいという目標です。

例えば、イギリスには夜間も安心して楽しめる地区を認定する『パープルフラッグ制度※1』があります。騒音やごみ問題、酩酊者の保護などの治安対策がつくられ、安心・安全に飲食が楽しめるまちですよ、と、国がお墨付きを与える制度で、観光客にもわかりやすくていいですよね。

今のフェーズはそういう機運を盛り上げていくところです。企業や飲食店など当事者自体が積極的に取り組み、安心・安全・楽しいまちをつくりたい。”繁華街”としてみんなが足並みを揃えていくいいアイデアのひとつかなと思っています。

人口減少が著しい今、やはり外から岡山に訪れる人をいかに増やしていくかを考えなければいけません。食・環境・公園活用、様々なアプローチで魅力あるまちに育てていくことも、僕らの商売の一部ですよ。」

「昼の西川、夜の西川、違った魅力を市民に味わって欲しい」と池田さん。

サラさん「魅力あるまちって、楽しそうなことがありそうだと思えるまちですよね。まず、このまちにいつもいるみなさんが楽しそうにしているのが一番じゃないかなと、今日、お話を聞いて思いました!

そして、池田さんが『繁華街に愛称がない』って言ってましたけれど、岡山の美味しいものがある繁華街は『西川』ですよ。世界中に『岡山の繁華街は西川』『岡山のおいしいものを食べるなら西川』って広めていきましょう!」

※1 パープルフラッグ制度:イギリスにおいて国が安全な地域であると保証をする認定制度。治安の改善、飲酒者への健康対策など7つの厳しい評価を満たすと、紫旗を獲得することができる。


聞き手:アサイアサミ
社会編集者。東京生まれ東京育ち。出版社の雑誌編集などを経て、2012年岡山へ移住し、地域の魅力を広告する会社「ココホレジャパン」を起業。大企業のマスメディアから自治体・地域企業の広報まで、ミクロとマクロを縦横無尽に横断しながら社会をより良くするための斬新でユニークでハッピーなコミュニケーションを編集。現在、竹中工務店とコラボレーションして木のまちをつくるプロジェクト「キノマチウェブ」や都市型自動運転船「海床ロボット」コンソーシアム、瀬戸内海のゴミを減らすために岡山のまちを楽しくする「どんぶらこリサーチ」などを展開中。

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